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その1 雨を降らせた獅子
雨乞大権現(あまごいだいごんげん) |
ここ妙法の村では、いつの頃からか、日照りが続き旱(かん)ばつになると、村人はごちそうを
重箱につめ、おみきを持ってお宮に集り、雨乞(あまご)いのお祈りをするようになったど。
今では雄物から水をポンプで揚げたり、溜池かできて、めったに田の水かけには困らな
いが、とにかく水不足の時は、「水は天から貰い水」のたとえのとおり、雨の降るのを神
様にお鰯いする雨乞いのほか、よい方法がなかったものだど。
ところが、妙法の雨乞いは、ほかの村の雨乞とは遵ってたど。
雨乞いをはじめて三日位いしても雨の降る兆(きざし)がないと「もったいねどもお獅子さんから
川に人ってもらうべ!」ということになるんだど。まず、水ごりをとって身体を清めた氏
子総代が、藁であんだ新しい菰(こも)に、ご神体である木彫りの獅子頭を新しい縄でゆわえ、日
の暮れるのを待って背負い、「雨乞大権現(あまごいだいごんげん)」と書いたのぼりを立て村人たちは灯ちんやた
いまつをかざして後に従い、川に向ったものだど。そして、川原に出て舟に移ってもらい、
村の上はずれの俗称「一の矢来(やらい)」という深い洲に神主さんの祈祈と共に川底深く沈んでも
らったものだど。
村人は、川原にたき火をたき、三日三晩交替で祈願を重ねると、必ず獅子の入水した時
刻になると雨が降り、一昼夜は、豪雨となって乾ききった大地を潤し、村人は安どの胸を
なでおるし、獅子を川から引きあげて、再びお宮へ送って納まってもらったど。
水不足は、このあたり一帯の村々も同じことで、隣り近辺の村々の人たちからも、妙法
で雨乞のため獅子が雄物川に入ったと聞くと必ず雨が降るものと信じられ、期待されて、
あつい信仰をあつめたものだど。
このうわさを聞いて、遠い村から「なんとが雨乞いのためお獅子さんを貸してもらえね
べが」とわざわざ頼みに来たこともあったが「ご神体をほかの村へまでは、貸してやるわ
けにはいがね」と断わるのに大難儀したこともあったど。
雨が降ると、村人たちは感謝の意を込め餅をたいて、また、お祭りをして獅子にお礼を
いったものだど。
※このお話は、金碁五郎氏(妙法)、伊藤八右エ門氏(平沢)の口述によるものです。
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さて、獅子はいつ頃、誰が刻んだものだろうか?。云い伝いによると、奥殿が造営され
たとき、宮大工の一人がその余暇に用材の端切れを彫りきざみ、それに精霊が宿ったもの
とされています。
妙法の鎮守加茂神社は、宝永八年(1711年)三月の創立で、主祭神の社名から、
山城圏愛宕郡加茂大明神(現在の京都・別雷の大神)を勧請したものと思われ、舟運や水
辺の守り神としてまつられた神社です。
現在の奥殿は、宮司佐藤茂教氏の記録によると、正徳四年(1714年)五月に再建
す、とあり、今から265年前のものです。
獅子の大きさは、たて、横、高さとも一尺位(約30cm)で、形は獅子の頭といわれてい
ます。
妙法の田圃は、昭和四年に設立された南部耕地整理組合によって当初は、堤によるかん
がいを行うことになっていましたが、沢の土質がザク岩のため、揚水場を設置することに
計画変更し.苦心の末、完成を見ています。
現在の揚水場が「獅子揚水場」といわれているのは、この獅子のいわれによるものです。 |
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