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いつの頃か、それはさだかでないが、雄物川のほとりのある村里に、「そんぜん」という旧い家があったド。
そんぜんの家は、それはそれはこの近辺きってのもの持ちで、家屋敷も広く、山や田畑も多く、遠くはなれた隣り村まで行くにも、他人の土地を通らずに行けたほどであったド。
田や畑が多いことから、若勢(わかぜ)もめらしもズッバリ(たくさん)住み込んでいたし、それに馬は何匹も飼い、駒とりもしたので、立派な頑丈馬(がんじょうま)も養っていたド。
若勢たちは、昼間中の田畑の仕事が終わってから、馬の脚ならしに出かけ、村を一まわりして馬ひらかしに川へおりていったものだド。毎日のようにどの馬もひらかしたが、とくに頑丈馬の手入れは念入りで、洗ってやったり、毛なみをそろえたりで、それはそれはていねいで、そうするように主(あるじ)のそんぜんじいさまが、若勢たちにうるさくいいつけていたもんだド。
ある夏の日のこと、頑丈馬はどんなにか気分がよかったものか、なかなか若勢が引張っても川からあがろうとしなかったド。
若勢も馬と力くらべみたいに引張ったり、だましたりで、ヤットコサットコ川からあげ、家にガリ.ッガリッと引張ってきて、何んとかかんとか馬屋の中に入れだド。そしたらなんとしたもんだゲ!馬のしっぽに河童(かっぱ)がつかまっていで、若勢に見つかってしまったものだから、うろだえ(あわてて)で馬物おけをがっぷりとかぶってしまったド。
河童が川の中で頑丈馬を神通力というものすごい力で引張っていたことがわかったものだから、若勢はびっくりぎょうてんして大さわぎしたド。
さわぎを聞いて、主のそんぜんじいさまも馬屋口へきて、こわがって尻込みする若勢たちに『陸(おか)にあがった河童のたとえがあるし、河童はふ抜けになって力もなくなったべがら、こわぐネー、ドードードつかまえろ!』と力づけでやったド。
河童は馬物おけから出され、あっけなくつかまえられたうえ、そんぜんじいさまの前にすわらされたド。若勢たちは 『河童は川で水あびする子供たちを、おぼれさせるから生かして帰すな!』とわめいだド。情け深いじいさまは、神妙にかしこまって命ごいする河童に村の子供たちに悪さをしないようにさとし、また、若勢たちをもなだめて河童を川に返してやったド。
それからというものは、この村で、水におぼれる子供もなくなり、そんぜんの家に宝物がさずかってますます繁昌したド。 |
河童と書いてカッパと読み、昔から日本人とは最もなじみの深い架空の動物で、農山村では大いに活躍する場があったようです。
子供たちが川で水遊びをする当時は、水難防止の大役のほとんどを引き受けていました。それは、子供たちに一度も見たことのない河童を、心からおそれ敬う念を抱かせ、河童にシリッコダマを抜かれないように、深くよどんでいる沼や堤、渦を巻いて流れる川などでは、水遊びができないようにしたものです。
河童については、芥川竜之助の文学の河童、清水崑の漫画などで紹介され、全国津々浦々に至るまで物語が伝えられています。
岩手県遠野市は、民話の里として知られていますが、民俗学著・柳田国男の「遠野物語」にも55話から59話まで5話も河童の話が続いています。河童が馬を淵に引き込もうとして失敗した話や、河童の子を婦人が出産した話などが書かれています。
河童のでてくる言葉で、現在も使われているのが、「河童とった」という言葉は、うっかりして川や沼、池などの水たまりに落ちてぬれた時に云われ、なかなかユーモアのある言葉の一つです。ほかに「屁の河童」などもおもしろい言葉です。※妙法には、そんぜんかどと云う川に通ずる道路があります。 |
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