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ずっと昔のある夏のはじめのころだったド。
この年は水も不足で、田植えはなんとか終ったものの、その後の草取りが数日続いても雨は降りそうになかったド。
ここらの田んぼは、沢の奥から流れる小川を堰き止めて、山のすそにそって堀られた用水路を流れる水に頼るほかなかったド。
日照りの年には、順番を決めて水を引き、それでも雨が降らない時は、森の山に鎮座する鹿島さんの祠の前に村人が集まり、たき火やたいまつを燃やし、鐘や太鼓をたたいて雨乞いの祭をしてきたものだド。この年も、村人たちは「ながなが降ってけねな!(くれない)」と雨乞いの話がではじめたんだド。
ここらの田んぼの一番場末にある金沢林(かんざばやし)というところは、堰の幅は大きくなるが、その割に水が細くなり、水かけに困るところであったド。それでも森の山近くに、水面が30坪(100平方メートル)ほどの沼があって、この沼の中ほどから湧き出る水は、どんなに旱天続きでも止まることがなかったド。近くで田んぼを作っていた人たちからも、うらやましがられていたんだド。この沼の中ほどには島があって、時代杉(じだいすぎ)と呼ばれる樹齢500年と伝えられる古木が沼をおおっていたド。昼でも不気味な感じがして、めったに村人は近寄らなかったド。
作右エ門というものが「あの沼の水をなんとかして、俺の田んぼに引きたいものだ」と考えていたんだド。そして、作右エ門は妙案を思いついたんだド。その妙案とは、番水を引く人たちが疲れで畦端(くろわき)に寝込んでしまう真夜中に、長く継いだ竹筒を自分の田まで埋めて水を引くことだったんだド。
かねてから、人目を盗んで運んでおいた竹筒を継ぎたして、沼のほとりに忍び寄ったんだド。苦労して竹筒を田の畦に埋め、草むらにかくして竹筒の端を沼の水に浸したんだド。
ところが、中天にかかったうす月が、赤く輝きわたったと思うと、なんと竹筒が蛇体にかわってうねり、もだえるように沼の中に引きづり込まれたんだド。
「なんと、おそろしや!」作右エ門は、あまりのおそろしさに腰を抜かし、気を失ってしまったんだド。
夜明けの露の冷たさに気をとりもどした作右エ門は、ただ、自分だけの欲にくらんで盗み水をしようとしたことが、沼の水神様のいかりにふれたものと心からわびたんだド。そして、村中の苦難を救ってもらうよう、断食をしてひそかに雨乞いをしたんだド。
それから数日たった夜、沼の近くにいた村人が、沼の中から白馬があらわれて、風のように堰根の奥へ向かって跳び去って行く姿を見たという噂とともに、待ちに待った恵みの雨が山野を生きかえらせたんだド。
とっぴんぱらりのぷ!
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