土崎湊の繁栄
雄物川船運図

土崎は、秋田(安東)実季の居城湊城があった要衝で、湊は海運に長けた秋田氏の拠点港であった。
秋田に入部した佐竹氏は、居城を保戸野村山に構えて領国経営の本拠地とし、湊は、新城下町の外港として機能するようになる。
こうして久保田は雄物川を介して土崎湊と連結され城下と湊の水上交通ルートができあがる。(略)
土崎湊は、水上では雄物川を通じて藩内有数の穀倉地帯である雄勝・平鹿・仙北三郡並びに久保田と結ばれ、陸地では羽州街道で久保田とつながり、さらには日本海海運を通じて、西は若越・京・大坂と、北は蝦夷地と連結された。
「秋田街道絵巻」(秋田市立千秋美術館蔵)より3点



補足:絵巻は、舟運図にあるように、70箇所もある船着場から年貢米などが土崎湊に集まった様子をよく著わしている。
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