きららとしょかん明徳館 石川達三記念室
郷土文学館 石川達三記念室

代表作『蒼氓』(第一回芥川賞受賞)、『生きてゐる兵隊』、『人間の壁』ほか
石川達三の文学
石川達三の『蒼氓』(そうぼう)は、昭和文学史上の記念碑的作品と位置づけられている。この作品は第一回芥川賞に輝き、作者は華々しく文壇にデビューした。作品の大きな特色は、ブラジル移民を集団的手法で用いて描いた点とされている。
これは従来の日本文学には前例の少ない手法であり、社会派作家としての出発点でもあった。以後、『深海魚』『日陰の村』『結婚の生態』『生きてゐる兵隊』『三代の矜恃』などの問題作を次々に発表し、芥川賞作家としては珍しく精力的な活動で文壇に揺るぎない地歩を築くのである。
この作家の素質、文学姿勢を端的に示したのは、何といっても『生きてゐる兵隊』が裁判問題に発展したときのことであろう。この作品は日中戦時下の昭和13年に書かれ、発表と同時に発禁処分を受けた。しかし、作家は法廷で「もっと本当の人間を見、その上に真の信頼を打ち立てなければ駄目だ」と、昂然と言い切っている。
当時としては非常に勇気を要する発言であり、真実を見極めようとする目、ヒューマンな正義感は以後の作家の姿勢にも一貫している。その作風も『蒼氓』以来ほぼ一貫し、社会性の強いテーマをルポルタージュ手法で描き出すのに特徴がある。
とくに戦後の旺盛な作家活動には、剛直とも思える資質と柔軟な時代感覚が見られ、その調和のなかから数多くの意欲作、問題作を生んだ。『望みなきに非ず』『風にそよぐ葦』『自分の穴の中で』『四十八歳の抵抗』『人間の壁』『僕たちの失敗』『青春の蹉跌』などの新聞小説は発表ごとに読者を熱狂させ、一大センセーションを巻き起こした。
また、『神坂四郎の犯罪』『最後の共和国』『悪女の手記』『骨肉の論理』『傷だらけの山河』『金環蝕』などにも、この作家ならではの資質と社会性が鮮やかに表出されている。
石川達三は観念小説や私小説を否定する。優れた作品を認めない、というのではなく、社会的問題に目をつむってはいけない、という正義派的立場なのである。「社会派」「正義派」「常識派」などと呼ばれるゆえんだが、これは明らかに私小説的世界には類を見ない広い視野と時代感覚にある。その傾向は晩年、鋭い文明批評となって、日録風の『流れゆく日々』により、具体的、象徴的に示されたといえよう。
(執筆:近代文学研究家 千葉三郎氏)

(明治38年頃)


(昭和5年)

(昭和17年)

(昭和51年文藝春秋40年記念出版での特別筆耕)

石川達三と秋田
石川達三氏は秋田県横手市の生まれ。少年期以降は岡山や東京で生活したが、父祖が秋田県鹿角市、母親が秋田県角館町(現仙北市)出身の秋田人であることから、石川氏自身、秋田と秋田人には愛着と故郷回帰の心情が深かったと考えられる。
石川達三氏には秋田とかかわりの深い作品や回想集が何編かある。第一回芥川賞を受賞した『蒼氓』はブラジル移民を主題にした作品だが、昭和初期の窮乏農村を背景に秋田の貧しい農民たちが、素朴な姿で登場する。『三代の矜恃』は母親うんの生家である角館の栗原家とその人びとをモデルにした小説である。
これらの小説のほか、『私ひとりの私』『小の虫・大の虫』『恥かしい話・その他』には、自伝的エッセイとして幼少期の秋田市楢山時代の追想が語られ、石川文学の原風景となっている。
このほかにも、秋田魁新報に寄せた「秋田昔ばなし」(昭和56年3月)には、父祖の地である鹿角市毛馬内のこと、母の郷地である角館町の人びとのこと、そして秋田市楢山時代のことを書いている。さらに「秋田の文人諸氏」(昭和58年「文芸秋田」)では、戦時中、ハノイで会ったフランス文学者の小牧近江と『種蒔く人』のこと、劇作家金子洋文と『蒼氓』演出のこと、農民作家伊藤永之介やジャーナリスト中山善三郎といった秋田人たちとの交流や印象などを語っている。


記念室開設まで
「石川達三記念室」が郷土文学館として設置されたのは、明徳館の開館翌年にあたる昭和59年10月であった。記念室開設の動機は、昭和58年、財団法人秋田青年会館が機関紙『青年広論』企画として石川氏にインタビューしたことからであった。秋田市連合会が提唱する<ふるさと運動>に石川氏が共鳴し、秋田市の受入態勢とも相まって同氏の好意ある寄贈が実現した。石川氏は記念室誕生の喜びを病床日記に綴られたが、惜しくも昭和60年1月31日、79年の生涯を閉じられた。
現在、石川達三記念室には石川氏から寄贈された単行本をはじめ、第一回芥川賞受賞資料、書簡、原稿、幼児から晩年に至る写真、二科展入選の経歴を持つ油絵やスケッチ、愛用の文房具、碁盤、ゴルフ用具などが収められている。


生誕百年記念事業
平成17年7月2日は、石川氏の生誕百年である。これを記念し、秋田県内の有識者13名によって石川達三生誕百年記念事業実行委員会が組織され、石川氏の記念室がある当館を主会場に各種記念事業を催した。
事業名(当館主管分) | 期日(平成17年) | 備考 |
---|---|---|
映画鑑賞会「人間の壁」 | 3月6日(日曜日)、6月11日(土曜日) | 原作:石川達三 |
市民文化講座「ふるさとの文豪石川達三の世界」 | 6月18日(土曜日)、25日(土曜日) | 講師:北条常久(当館館長(当時)) |
文学散歩(バスツアー)「石川達三の歴史を訪ねる」 | 6月13日(月曜日)県南コース | 講師:田口清克氏ほか |
文学散歩(バスツアー)「石川達三の歴史を訪ねる」 | 6月22日(水曜日)県北コース | 講師:田口清克氏ほか |
「石川達三特別資料展」 | 6月18日(土曜日)~7月3日(日曜日) | |
文化講演会「父を語る」 | 7月2日(日曜日) | 講師:石川旺氏(達三長男) |
このほか、石川氏の生家が現存する横手市、父の生家が残る鹿角市、母の生家がある仙北市角館町においても、記念事業が開催された。
そして、これから
石川達三は社会派と言われてきた。第一回芥川賞の『蒼氓』は、困窮した農民が新天地ブラジルに移民して行く話である。土地に生き、血族の結びつきの強い農民が好き好んで外地に移民するはずがない。国の政治、経済の犠牲である。文壇第二作『日蔭の村』は、肥大する東京市の水不足のために奥多摩の山間の村が水没させられる話である。日中戦争を描いた『生きてゐる兵隊』は、戦火の兵士をリアルに再現した。『金環蝕』は、政、経、官の癒着を描き、『人間の壁』は、教育問題を直視した。石川達三が社会派と言われる所以である。
しかし、このたび達三生誕百年を記念して彼の全作品を振り返ると、社会派と言われる以上に、人間の自由と倫理を論じたり、人生論を開陳している作品の多さにびっくりする。青春の生き方、結婚生活のありよう、老境にさしかかる人生の危うさを描いた『若日の倫理』、『結婚の生態』、『四十八歳の抵抗』に対する彼の真剣さは、けっして『蒼氓』、『人間の壁』に対する意気込みに劣らないし、読者の反応も鈍くはなかった。
ただ、読者はいつの間にか青春をやり過ごし、結婚生活への感動を忘れ、四十八歳を通り過ぎ、それとともに達三の作品への感動を忘れ、彼から学んだことも忘却してしまった。
現在の日本は移民の必要のない国になった。徴兵制もないし、教員の組合闘争も過去のものとなった。そのためか、『蒼氓』も『生きてゐる兵隊』も現在の読者から遠ざけられている。しかも官僚、政界、経済界の癒着は今や常識で、石川達三に教えられるまでもない。
しかし、人間にとって青春をいかに生きるか、結婚生活はいかなるものか、初老の悲しみはどう克服すればよいか。永遠の課題である。石川達三は、それらの課題を読者とともに自らの人生を賭けて追求した。『ろまんの残党』は、彼の青春そのものであり、『結婚の生態』は、彼の結婚直後に書かれ、『青色革命』、『四十八歳の抵抗』は、間違いなく初老の彼だ。
彼は、自らの人生の返り血を浴びながらこれらの作品を書いた。生誕百年を契機に石川達三の社会派以外の作品も読み直されそうな予感がする。
(執筆:中央図書館明徳館 元館長 北条常久)
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