目録(庶務事務簿)
庶務事務簿(明治~昭和)の目録
明治22(1889)年の市制施行から昭和20年(1945年)までに作成された庶務事務簿の公文書です。
- 番号
- 1
-
簿冊名
-
明治22年市事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
市制が施行された明治22年(1889年)に、秋田市が行った事務に関する簿冊です。主な内容は、市長の年俸決定、助役・収入役の選挙および月棒の決定、参事会員の選挙などのような内部組織の整備と市役所の位置や建物、備品の購入などのような庁舎の整備についての文書が綴られており、秋田市の基盤が作られていく様子を知ることができます。
- 番号
- 2
-
簿冊名
-
明治27年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
「秋田市」が誕生してから、5年が経過した時期の庶務事務簿です。「庶務」に含まれる業務内容は、例規、人事、給与、予算、福祉と幅広い分野にわたっています。また、明治元年(1868年)の戊辰戦争における秋田市の功績者の調査を実施した公文書が綴られていることも特徴の一つです。
- 番号
- 3
-
簿冊名
-
明治29年庶務事務簿
-
冊数
-
2冊
-
解説
-
1冊目は、明治29年(1896年)の1月から3月までにかけて作成された庶務事務簿です。日清戦争(1894年~1895年)の翌年であることから、戦死者遺族への義捐金に関する文書や軍事公債に関する文書が多いことが特徴的です。また、「旧銅貨天保通宝」の「引替期限」に関する文書もあり、この時期においてもまだ江戸時代の銅貨の回収を行っていたことが分かります。
2冊目は、明治29年4月以降に作成された庶務事務簿です。この年は、七月、八月に水害、さらに八月三十一日には「陸羽地震」と呼ばれる大地震が発生しており、大きな自然災害に見舞われた一年でした。この簿冊からは、そのような大災害における秋田市や秋田県、国の対応を知ることができます。
- 番号
- 4
-
簿冊名
-
明治30年庶務事務簿
-
冊数
-
2冊
-
解説
-
1冊目は、明治30年(1897年)の1月から6月までにかけて作成された庶務事務簿です。明治27年の庶務事務簿と比較すると、「庶務」に皇室関係、軍事関係、学校関係の業務が含まれており、行政が携わる分野が以前よりもさらに広くなってきていることが分かります。
2冊目は、明治30年の7月以降に作成された庶務事務簿です。明治30年の庶務事務簿全体の特徴として、規則の改正が多いことが挙げられます。明治22年(1889年)に市制が施行されてから8年が経過し、市の業務が増加したことにより、実務上の要請に合わせて規則改正が行われたものと考えられます。
- 番号
- 5
-
簿冊名
-
明治31年~明治33年
庶務事務簿 -
冊数
-
1冊
-
解説
-
明治31年(1898年)~明治33年(1900年)の3年分を1冊にまとめた庶務事務簿です。目録の件名数を見ても、これ以前の庶務事務簿と比較して非常に内容が少ないことが分かります。この点については今後の課題として、当時の行政の状況を踏まえた上で考察していく必要があると考えています。
- 番号
- 6
-
簿冊名
-
大正5年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
大正5年(1916年)の庶務事務簿です。この簿冊は他の庶務事務簿と異なり、秋田市内の天然記念物や史跡・旧跡に関する調査の結果だけがまとめられています。当時の秋田市の文化の実態を知る上で重要であると考えられます。
- 番号
- 7
-
簿冊名
-
大正8年庶務事務簿
-
冊数
-
3冊
-
解説
-
大正8年(1919年)は、3冊の庶務事務簿が残っています。1冊目は、大正8年5月に大蔵省に「臨時秩禄処分委員会」が設置されたことにより発生した業務についてのみまとめた簿冊です。なお、「秩禄」とは、明治になっても継続されて支給されていた華族・士族への「家禄」と明治維新の功労者への「賞典禄」を合わせた呼称で、明治9年(1876年)に廃止されました。
2冊目の庶務事務簿には「大正8年庶務事務簿其一」と名称が記されており、件名を見ても分かるように、秋田市の本来的な「庶務」に関する簿冊であることが分かります。これまでの庶務事務簿と同様に、行政が幅広い業務を行っていることが特徴です。
3冊目の庶務事務簿には「大正8年庶務事務簿其二」と名称が記されており、上記の簿冊の続きとなっています。
- 番号
- 8
-
簿冊名
-
大正10年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
大正10年(1921年)の庶務事務簿です。秋田市役所では市長室の電話を増設しようと何度も申請してきましたが、電話加入希望者が多かったためなかなか実現しなかったことが分かります。電話に対する需要が現代とは全く異なっていた、大正期の社会について知ることができます。
- 番号
- 9
-
簿冊名
-
大正12年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
大正12年(1923年)の庶務事務簿です。この前年の大正11年(1922年)、日本はシベリアに出兵していた軍を引揚げています。その影響から、シベリア引揚者への寄附に関する文書が多いことが特徴です。また、この年の9月1日に関東大震災が発生しており、東京市(当時)などへの寄附を募集しています。
- 番号
- 10
-
簿冊名
-
昭和2年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和2年(1927年)の庶務事務簿です。大正14年(1925年)に皇太子裕仁殿下(後の昭和天皇)が秋田市においでになり、市に贈与金がありました。これをもとに寄附金と市費の繰上金によって社会事業施設建設を計画しました。この計画によって病院などが建設されました。
- 番号
- 11
-
簿冊名
-
昭和3年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和3年(1928年)の庶務事務簿です。この年は市制施行40年にあたり、これまで秋田市の徽章(紋章)がなかったことから、秋田市出身の紋様学者小場恒吉氏に依頼して6月に徽章が制定されました。また、7月12日を市の記念日としました。さらに、市制施行40年記念として市道拡張に関わる事業の議案が市会で議決されました。
- 番号
- 12
-
簿冊名
-
昭和10年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和10年(1935年)の庶務事務簿です。昭和8年(1933年)から不景気救済事業として全国的に土木事業が行われ、秋田市では不景気救済、農村振興などの名目でさまざまな事業が着工され、この年まで事業が続けられています。
- 番号
- 13
-
簿冊名
-
昭和11年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和11年(1936年)の庶務事務簿です。秋田市工場建設奨励規程が制定され、茨島地区は飛躍的に発展していくことになります。市会では同地区の土地を秋田県工業相談敷地として、1万400平方メートルほどを県に寄附することを議決しています。
- 番号
- 14
-
簿冊名
-
昭和12年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和12年(1937年)の庶務事務簿です。7月に市記念日を祝って茨島記念運動場の完工式を行っています。8月に集中豪雨があり、旭川が氾濫して流域に浸水の被害を及ぼしました。
- 番号
- 15
-
簿冊名
-
昭和13年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和13年(1938年)の庶務事務簿です。4月17日に国で「自治制発布五十年記念式」が行われました。秋田市では7月12日の市の記念日に市制施行五十年式、表彰式および市政功労者故人弔祭式を行っています。5月には市と市民にとって記念すべき新雄物川放水路が完成し、通水式が行われました。
- 番号
- 16
-
簿冊名
-
昭和14年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和14年(1939年)の庶務事務簿です。前年度以前の簿冊に比較して、戦時体制下に関連する内容が増えています。防衛団と消防団が合併し、秋田市警防団が設置されました。これは秋田市の防空体制の強化を目的に作られたものです。一方、9月に庁舎増築の落成式が行われました。これは市役所職員の増員、新しい課の増設のため増築に迫られて行ったものでした。
- 番号
- 17
-
簿冊名
-
昭和15年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和15年(1940年)の庶務事務簿です。この年の簿冊には靖国神社臨時大祭に関するものや、拝賀式(天皇に謹んでおよろこびを申し上げる式)などの文書が多くみられます。一方、翌年に実施する新屋町、土崎港町、寺内町、広山田村の秋田市への合併にむけて、それぞれの役場を出張所とするための規程整理などの文書があります。
- 番号
- 18
-
簿冊名
-
昭和16年庶務事務簿
-
冊数
-
2冊
-
解説
-
1冊目は昭和16年(1941年)1月から5月にかけて作成された庶務事務簿です。この簿冊には、明治天皇・昭和天皇の誕生日などの拝賀式に関する文書が多くみられます。
2冊目は昭和16年(1941年)1月から2月にかけて作成された庶務事務簿です。この簿冊に綴られている目次には「十年保存」と書かれており、職員に対する各種の条例改正などに関する文書が多くみられます。また、この年に行われた新屋町、土崎港町、寺内町、広山田村の3町1村全域の秋田市合併に伴う職員や旧庁舎に関する文書があります。
- 番号
- 19
-
簿冊名
-
昭和17年庶務事務簿
-
冊数
-
2冊
-
解説
-
1冊目は昭和17年(1942年)1月から12月にかけて作成された庶務事務簿です。この簿冊にも拝賀式に関する文書がいくつかあります。一方、古くから時報用として長年使用されてきた千秋公園の時鐘が回収されて、時報を廃止する文書があります。
2冊目は同じく昭和17年(1942年)1月から12月にかけて作成された庶務事務簿です。1冊目よりも役所内部に関する文書が多いことが特徴です。
- 番号
- 20
-
簿冊名
-
昭和18年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和18年(1943年)の庶務事務簿です。昭和17年の終わり頃から日本にとって不利な戦闘が東南アジアを中心に展開されるようになりました。市役所内に天皇の御真影奉掲殿が作られ、この掲殿に付ける菊の御紋を描くための許可を県に申請する公文書などがあります。
- 番号
- 21
-
簿冊名
-
自昭和19年至20年庶務事務簿
-
冊数
-
1冊
-
解説
-
昭和19年(1944年)2月から昭和20年(1945年)9月にかけての庶務事務簿です。このころになると市会議員も戦争に召集され、失職するなどの事態となりました。そして、戦況がますます不利となり、国内の状況も悪くなってきたことから、市長が「大和一致、生産増強、国土防衛に勇ましさを奮起し、宿敵米英撃滅に闘魂を傾け誓って聖慮(天皇のお考え)を安んずることのないよう決心すべし」と告諭(言いきかせること)している公文書があります。
- 番号
- 22
-
簿冊名
-
庶務事務簿
-
冊数
-
12冊
PDFファイルをご覧いただくには、「Adobe(R) Reader(R)」が必要です。お持ちでない方はアドビシステムズ社のサイト(新しいウィンドウ)からダウンロード(無料)してください。
よりよいウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。
このページに関するお問い合わせ
秋田市総務部 文書法制課 文書・歴史資料担当
〒010-8560 秋田市山王一丁目1番1号 分館1階
電話:018-888-5428 ファクス:018-863-7284
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。