キナイ半島郡について
アメリカ合衆国アラスカ州キナイ半島郡 Kenai Peninsula Borough
交流合意都市提携
平成4年(1992年)1月22日
提携の由来
平成3年(1991年)に、第7次秋田市総合計画に基づき国際化推進調査事業を実施し、アメリカ合衆国を対象に新たな提携候補都市を検討しました。その過程で、キナイ半島郡が秋田市と強い交流希望の意向を持っていることがアラスカ州政府在日事務所を通じ確認され、平成4年(1992年)1月にキナイ半島郡代表市長を迎え交流合意都市提携に至りました。
概況
- アラスカ州の中南部、アンカレッジの南に位置しており、アラスカ湾に突き出たキナイ半島を中心とした地域がキナイ半島郡です。
- 面積は約65万平方キロメートルでこれは北東北5県の面積とほぼ同じです。
- キナイ半島郡は、キナイ、ソルドトナ、スワード、ホーマー、セルドビア、カチェマックの6市と、そのほかの小さな町や村からなっており、アラスカ原住民の村や3カ所のロシア移民村も含まれています。
- アンカレッジを中心とするアラスカ州中南部にはアラスカ州総人口の半数以上の人々が住んでおり、観光、農業、漁業、石炭石油、林業などの産業を通じアラスカにおける経済の中心地を形成しています。
- 日本からキナイ半島郡までは、シアトルなどアメリカ西海岸の都市とアンカレッジを乗り継いで行くのが一般的です。東京からシアトルまで約9時間、シアトルからアンカレッジまで約3時間30分、アンカレッジからキナイまで約30分のフライトです。
- 夏や冬に直行のチャーター便が就航された場合は、日本からアラスカまで約6時間30分程度で到着することができます。
- 秋田市とキナイ半島郡とでは18時間の時差があり、秋田市が午前9時の時、キナイ半島郡は前日の午後3時です。なお、アメリカでは夏時間を採用していますので、その期間は、秋田市が午前9時の時、キナイ半島郡は前日の午後4時です。
主要な交流合意都市の概況
キナイ市 KENAI
キナイ半島郡最大の市で、人口はおよそ7千人です。クック入江に面し、古くからインディアンが漁業や狩猟生活をしてきましたが、1791年にロシア人がキナイをアラスカで2番目の植民地とし、セント・ニコラス砦を建てました。1950年代に最初の石油が発見されて以来、天然ガスや海底油田もみつかり、今や世界的な原油と天然ガスの産地となっています。この場所から日本へも天然ガスが輸出されています。
ソルドトナ市 SOLDOTNA
キナイ市から約18キロメートル、キナイ川の流れる人口およそ4千人の市です。キナイ半島郡行政の中心地であるばかりでなく釣りのメッカでもあります。キナイ川では、世界最大のキング・サーモンが6月から7月末にかけて釣れ、その他の川や湖でも、シルバー、レッド、ピンクなどのサーモンやレインボートラウト、ドリーバーデンなど、釣りの季節は10月中旬まで続きます。また、この場所は景観が素晴らしいばかりでなく、ムースなどの野生動物も数多くみることができます。
スワード市 SEWARD
人口およそ3千人の市で、1903年にアラスカ鉄道建設技師によって鉄道建設のため資材輸送ターミナルとして開設されました。市の名前は、アラスカをロシアから買い取ったスワード国務長官の名を冠しています。1923年鉄道が開通すると、ゴールド・ラッシュの開拓者達がこの港へ押し寄せ、交易や交通が発達しました。現在は毎年夏に開催されるマラソンレースとアラスカ最大のシルバー・サーモン釣り大会「シルバー・サーモン・ダービー」でまち全体が活気にあふれます。また、スワードには世界的に有名なサケの加工処理工場があり、製品がこの場所からヨーロッパや日本へ輸出されています。
ホーマー市 HOMER
キナイ半島の南西の端に位置し、緑豊かなカチェマック湾に面した風光明媚なリゾート地で、人口はおよそ5千人の市です。ハリバット(オヒョウ)などの海釣りのメッカとしてアラスカはもとより本土、海外にも知られ、夏の港は多くの釣人や観光客で賑わいます。温暖な気候のため、「アラスカのシャングリラ(理想郷)」ともいわれています。
小史
- シベリアからアラスカへ人類が移動したのは約2万5千年前から6千年前までとみられ、この頃シベリアとアラスカはベーリング海底が露出して地続きでした。その後海となったベーリング海の沿岸で人々が生活するようになったのは、5千年から3千年前のことでした。
- 1741年7月15日、ロシア皇帝の命を受けて北極を探検していたデンマーク人船長V.ベーリングがアラスカの島を発見、その後、アラスカをロシア領として、この場所を足がかりに南はカリフォルニアまで交易を広めました。また、ロシアは原住民にキリスト教を布教させ、キナイには今もロシア正教会が残っています。
- 1848年にキナイ半島で最初の採炭が行われ、その後、石炭の輸出が活発化しました。
- 1853年、ロシアはトルコとクリミア戦争に突入して南下政策に挫折したことから、戦後の疲弊に乗じて英国にアラスカを奪われることを憂慮して、アメリカにアラスカの譲渡を提案し、720万ドルでアラスカをアメリカに譲渡することを決定し1867年3月30日調印が行われました。その後アラスカでは、次々と金が発見され、いわゆるゴールドラッシュをむかえました。
- 1853年、クック湾で石油が発見されました。
- 1878年、シトカなどで鮭の缶詰工場ができ水産が活発化しますが、それに伴って魚の木箱などの需要をうけ製材業も活発になりました。
- 1968年、北極圏プルドー湾に石油とガスが発見され、1977年にこの場所からアラスカ湾内海の港バルディーズまで800マイルの石油パイプ・ラインが完成しました。こうしてアラスカは石油や木材、水産により活性化しましたが、石油価格の低迷や木材不況もあり、観光の活性化にも力を注いでいます。
- 1959年1月3日、アラスカがアメリカ合衆国の49番目の州に昇格しました。
産業など
林業
キナイ半島郡北部地域では、桧の種類に属するホワイト・スプルースやシトカ・スプルースを中心とする木材資源が豊富で、これらの木材は主にログ(丸太材)やチップに用いられています。また、クック入江西岸地域などでは、ブラック・スプルースなどが未だにほとんど手付かずの状態で残っています。
水産業
水産業はキナイ半島郡第1の産業であり、その中でもサケとマスが多数を占めており、加工品も含めて最も重要と考えられています。特に、キナイ産のスジコは最高級品として日本へ輸出されています。また、オヒョウ、カニ、エビなども豊富に産出しています。最近は、これまで重視していなかったウニ、アワビ、ナマコなどの輸出にも力を入れようとしています。
石油など
キナイ市沖のクック入江にはアラスカで最初に発見された大規模油田があり生産を続けています。
観光
有名なアラスカ鉄道が、キナイ半島郡内の都市スワードからアンカレッジを経由してフェアバンクスまで伸びています。手を挙げればどこでも止まってくれるこの鉄道は、中心となる貨物輸送のほかに夏の観光や地元住民の安定した交通機関として親しまれています。
夏の間はキナイ・フィヨルド国立公園を中心に、入江や島の多い太平洋に面した地域では、キナイ半島を巡回するクルーズ・ツアーがあります。この国立公園は、美しい景観に加え、アザラシやラッコ、パフィン、イルカ、クジラ、白頭鷲などに出会える家族旅行には最適な観光地です。また、ワシントン、カリフォルニア、カナダを出発点とする豪華客船も夏場を中心に就航しています。
これまで関心の少なかった冬の観光として、オーロラ観察、犬ぞり体験、クロスカントリー・スキーなどが日本人旅行者を中心に定着しはじめています。
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