千秋公園のハスについて
千秋公園大手門の堀に植生しているハスを、これまで「大賀ハス」と観光パンフレット等で紹介してきましたが、純系の大賀ハスとは形状等が異なるとの指摘がありました。この文書は、ハスの実態と純系「大賀ハス」株の譲り受けと栽培計画について説明するものです。
漁山紅蓮(ぎょざんこうれん)とは
大手門の堀に植生しているハスは漁山紅蓮(ぎょざんこうれん)という品種です。7月上旬から開花し、市民の憩いの場として親しまれています。魚山(漁山)とは、中国の山東省東阿県にある山で、中国における声明(しょうみょう・経典にふしをつけて朗誦する仏教の儀礼音楽)の発祥の地をされています。また、その声明そのもののことも魚山と言います。この漁山紅蓮は、肥培管理すると花弁数がやや多くなり、多弁花のような咲き方をすることがあります。
大賀ハスとは
1951年(昭和26年)3月30日に、故大賀一郎博士らにより、千葉県検見川の泥炭層下4.8メートルの青泥層から古代の丸木舟と一緒に3粒のハスの種が発見された。このハスの種は米国シカゴ大学原子核研究所におけるラジオカーボン・テストの結果、2000年以上も古いものであることが証明された。
種の1粒が大賀博士により同年5月に奇跡的に発芽し、翌年7月19日に、2000年の眠りより覚めた桃紅色の花を咲かせた。
花は一重咲きの大輪で、色は淡紅色、花びらの先端が内向きにややカールし、花びらにはっきりした条線はなく、葉の表面は滑らか。花径は25センチメートル前後、大型品種で、花茎は1.5メートルほどに伸長する。
参考リンク
大賀ハスを植裁した経緯
1965年(昭和40年)
土崎出身の仏教学者多田等観氏が、千秋公園の堀で美しい花が咲くことを願って、大賀博士から送られた大賀ハスの種4粒を、知人である秋田県職員の石郷岡繁雄氏に託した。秋田県では、河辺町在住の農業小西俊孝氏に栽培をお願いした。栽培依頼を受けた小西氏は、大賀ハスを昭和42年に見事、開花させたが、その大賀ハスを千秋公園内に移植した記録はない。
1976年(昭和51年)
昭和51年に秋田県農業試験場から大賀ハスの株を9株譲り受け、千秋公園に移植したが、開花しないまま、昭和52年に、すべて枯れてしまった。
1978年(昭和53年)
本市が千葉市より大賀ハスの8株を譲り受けた。既に生育していたハスにも配慮し、大手門堀北西隅の平野美術館と中土橋寄りの所に、木製の簡易な囲いを施し4月に植栽した。大賀ハスは、9月に開花して一躍名物になった。
1979年(昭和54年)
大賀ハスのみならず堀のハス全部は、長雨による高水位と低水温により、浮き葉、立ち葉もほとんど無く、開花もなかった。
1980年(昭和55年)
大賀ハスを植栽した場所を含む堀北西側一帯で立ち葉の数が確認されるが、開花はなかった。
1981年(昭和56年)
上記場所を含む堀北西側一部で開花。その後、ハスは堀面積の半分近くを埋め尽くすまでに繁殖し、現在に至っている。
2001年(平成13年)
11月に秋田中央道路の建設に着手、ハスの一部は他所に仮移植される。
大賀ハスの栽培計画
1978年(昭和53年)に千秋公園で咲いた大賀ハスが、異なる性質を持ったハスに変化し、これを大賀ハスと紹介し続けていたことは、汗顔の至りである。このたび、秋田中央道路の建設工事により、ハスを取り除き一部を仮移植する機会を捉え、大賀ハスの純粋栽培を試み、正しい大賀ハスを市民に紹介する栽培計画を実行するものである。
蓮文化研究会の印南洋造理事長から、大賀ハスを数株譲り受け、交雑や自然淘汰されることを防ぐため、当面は千秋公園胡月池内に鉢植えで栽培する。その後は、胡月池内に木杭で間仕切りをして、その中で育成・管理・展示するとともに、千秋公園再整備基本計画の基本テーマの一つでもある「市民参加による公園づくり」に基づき、ワークショップ等の手法を活用して大賀ハスの保存に努める。
なお、現在のハス(漁山紅蓮と類推)はそのまま生育させ、秋田中央道路の工事終了後再移植することとする。
平成14年4月26日の記者会見資料に基づき作成しました。
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