史跡公園のご案内
史跡公園マップ
発掘調査で発見された遺構を現地に復元し、史跡公園として整備しています。資料館から徒歩約3分で政庁に行くことができます。ぜひ散策して古代秋田城のスケールの大きさを体感してみてください。
史跡公園ガイドのご案内
4月1日から11月30日(午前9時から午後4時まで)の期間は毎日「秋田城跡ボランティアガイドの会」が史跡公園管理棟に待機しています。復元整備された史跡公園の説明(無料)を行っておりますので、団体でのガイドを希望する場合は、5日前までに秋田城跡歴史資料館に電話などでお申し込みください。
秋田城跡歴史資料館 電話 018-845-1837
ガイド依頼書(団体用)
次の添付ファイルをご参照ください。
ボランティアガイドになりたいかたへ
秋田城跡ボランティアガイドの会に入会するには、秋田城跡歴史資料館で5月下旬に開催される「史跡秋田城跡学習講座」を受講する必要があります。ぜひ、受講してみてください。
史跡公園のみどころ
発掘調査で確認されたことをもとにして、秋田城の当時の姿を復元し、史跡公園として平成元年度から整備しています。
政庁
政庁は秋田城の中枢部で、東西94メートル、南北77メートルに区画された部分です。一番大きな建物は正殿と呼ばれる建物で、その前面に空間地があり、広場となっています。この広場で、国内外からの使節を迎えた儀式などを執り行いました。
晴れた日には、正殿の真南に鳥海山が見えることがあります。是非、現地で確認してみてください。
復元しているのは、秋田城創建期の頃の政庁です。政庁は大きく分けて6期の変遷があることが発掘調査によってわかっています。
また、政庁の南西部は、明治時代に造られた道路によって削平され、失われてしまっています。
東門
秋田城は二重構造になっていて、内側の区画が政庁域で、外側の区画は外郭線と呼んでいます。外郭線には東西南北の門があったと考えられますが、現在のところ、東門・南門・西門が発見されています。外郭東門は立体的に復元し、平成9年度に完成しました。門の形態は奥行き2間、横幅3間の八脚門です。
東門と築地塀は奈良時代の創建期の頃の姿を復元しています。発掘調査の結果から、創建期の築地塀には瓦が葺かれていたと考えられます。瓦は律令国家の権威を示す象徴的な建築部材で、当時は特殊な建物にしか葺かれません。秋田城の創建当初は、壮麗な外観を呈していたと考えられます。土を突き固めて構築される築地塀は、積雪の多い雪国には不向きな建築方法なのですが、秋田城の場合は、外郭線2.2キロメートルの全周が築地塀で造られていたと考えられています。壮麗な外観をいかに重視していたのかがわかる風景だと思います。
東門を抜けると古代沼が広がる鵜ノ木地区にでます。
鵜ノ木地区建物群
鵜ノ木地区には大型の建物がたくさん発見されています。建物の配置からみて、この鵜ノ木地区の建物は寺院であったと考えられます。奈良時代の律令国家では、仏教信仰を推し進めており、秋田城のような城柵には付属寺院があるのが通例です。
当時の歴史書に秋田城に付属し、「四天王寺」というお寺があった記述があります。また、この地区から「玉寺」と墨で書かれた土器が発見されています。
このような秋田城の奈良時代の付属寺院の建物配置は観世音式伽藍配置と呼ばれる配置であり、多賀城(宮城県)や大宰府(福岡県)の付属寺院と同じ配置なのではないか、という指摘があります。当時の鎮護国家思想がうかがわれます。
古代水洗トイレ
秋田城で発見された古代水洗トイレは、沼地の付近に立てられています。排泄物は沈殿槽にいったんたまり、上澄みだけが沼地に流れる構造になっています。自然地形をうまく利用した奈良時代の最新鋭のトイレです。
鵜ノ木地区の付属寺院の北東隅に配置されており、8世紀中頃につくられ、8世紀末から9世紀初めまで機能していたと考えられる奈良時代のものです。平安時代になると取り壊されました。
内部も詳細に復元されています。水を流す体験はできますが、実際にトイレとして使用することはできません。
PDFファイルをご覧いただくには、「Adobe(R) Reader(R)」が必要です。お持ちでない方はアドビシステムズ社のサイト(新しいウィンドウ)からダウンロード(無料)してください。
よりよいウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。
このページに関するお問い合わせ
秋田市観光文化スポーツ部 秋田城跡歴史資料館
〒011-0907 秋田市寺内焼山9-6
電話:018-845-1837 ファクス:018-845-1318
お問い合わせは専用フォームをご利用ください。