だいすけが去ったあと(たくさんのメッセージ、献花に感謝しつつ)
だいすけが去ったあと(たくさんのメッセージ、献花に感謝しつつ)
だいすけが亡くなり、もうすぐ一月になろうとしている。亡くなった直後はバタバタしていたせいであろう、あまり意識はしなかったが、その後、ゾウ舎に出向くたび、大きなだいすけの喪失感はだんだん強まってきているのがわかる。それは決してゾウ舎の物理的な空虚感だけではなく、30年以上、この動物園で共に生き、暮らしていた仲間がいなくなった寂しさのほうが大きい。
「ぼっち〇〇」が流行っているようだが、一頭残されたメスのリリーも独りぼっちでどこか寂しそうだ。仲間同士でそれなりに気持ちを伝えあっていたであろうから、人間にはわからぬ寂しさがあるに違いない。リリーの心理状態を心配して、飼育員は夜間のビデオ撮影を行い、リリーがちゃんと休んでいるのか、行動チェックに余念がない。
だいすけは30年間という長い時間、市民につけてもらった愛称や私たちと同じ人格のようなものを持ち、市民や来園者、そして動物園スタッフと同じく、季節やさまざまな時の変化を過ごしてきた。生きた時間の長さは、生きてきた証の積み重ねのようなものだ。過去の思い出はあるが、亡くなってこの先は存在しなくなることで、不思議な感覚になる。動物が亡くなると、大なり小なり等しく、悲しさ、寂しさ、悔いは残るものだが、だいすけの場合はそのボリューム感と時間の長さのせいだろう。特別だ。もともとの主がいなくなったゾウ舎に空虚感が漂う。
そんな気持ちは多くの市民、ファンも同じだったのであろう。だいすけの死を悼み、休園中にも関わらずいくつもの花が届けられた。通常開園に合わせて設置した献花台には、実に多くのお花やメッセージを手向けていただき、こんなにもたくさんのだいすけファンがいたんだと驚いた。
ある日のこと、だいすけの遺影前で印象的なシーンがあった。一輪のチューリップを手にした女の子を連れた若いお母さんが、「だいすけ君、死んじゃって悲しいね。さよならしようね。」と花を手向け、お別れをしていた。お母さんの優しい態度は小さな女の子に自然に受け継がれてゆくに違いない。だいすけを悼む思い出のノートには、えさやり体験を通じて知った、だいすけの優しさや思い出がたくさん記されていた。詩人まど・みちおの「ぞうさん」を思い出す。だいすけはいろいろな思い出を子どもたちに残したのかもしれない。
だいすけに寄せられた心温まるたくさんのお悔やみやお花にお礼申し上げます。
令和3年4月
大森山動物園 園長 小松 守
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