義足のキリン、20年目の命日
義足のキリン、20年目の命日
入園ゲートを入るとすぐにバラや草花で囲まれた2頭の母子キリンが寄り添うモニュメントが目に入る。多くの人が知る大森山動物園であった物語、「義足のキリンたいよう」を思い出す機会になっている。物語は20年前の出来事からつくられた。骨折した子キリンが義足を着けて約3カ月間、けんめいに生き、それを支えた園スタッフがいた。この事実を記憶に残そうとご婦人団体の浄財を基に子キリンと翌年亡くなった母キリン・モモの2頭を寄り添わせたモニュメントが造られた。命の尊さを改めて考える一つの材料にもなっている。
モニュメントにつけられた名称「いっしょだよ」は応募された多くの作品の中から選ばれた。命名者は地元の小学生、亡くなった子キリンと母キリンがずっと一緒にいて欲しいという、いかにも子どもらしい思いが込められていた。
当時けんめいに関わったスタッフも20年という時を経て数少なくなり、動物園側の記憶も薄れかけ過去のものになりつつある。当時は多くの本が出版され、道徳の副読本になるなど学校などで取り上げられ、モニュメントを見た子どもたちは子キリン・たいようのことを話していた。その子どもたちも今は大人になり、遠足などで訪れる学校や幼稚園の先生でもこの物語を知らない人も多いようだ。今の子どもたちのほとんどはこの物語を知らないかもしれない。時の流れである。
6月18日はその「たいよう」が亡くなった日、いわゆる命日だ。20年目に改めて当時のことを思い出してみると、骨折して生きようと3本肢で歩く姿や、何度も手術に耐え立ち上がった姿が目に浮かぶ。骨折後87日間の闘病の様子、生きていて欲しいと格闘したスタッフの懸命な姿、そして掌の上で揺れ動いた生と死への判断、苦悩と葛藤など、当時のことが走馬灯のようにめぐる。
一方、20年の歳月を振り返り、「義足のキリンたいよう」の物語があってからの大森山動物園が歩んだ道と重ね合わせてみると、それは極めて大きな影響を与えた物語であったように思えてくる。
市民の動物園への関心が高まり、動物園の存在を改めて考えるきっかけになった。それが「大森山動物園条例」の制定につながったように思う。動物園が誕生して30年近くが経過してからの条例制定は極めて異例のことだったが、同時に園整備の機運も高まり、研修ホールを兼ねたミルヴェ館や動物病院の整備にもつながったと言える。たいようの物語は市民の動物園に対する意識を大きく変えるきっかけになったことは間違いないと思う。
人は過去を振り返る動物であるが、こうして20年前を振り返ると、今の動物園の存在が改めて浮かび上がってくるようでもある。そこから大森山動物園の未来がどうあるべきか、また改めて想うことも必要な気がする。
来年で大森山は50周年を迎えるが、動物園の来し方を改めしっかり振り返ることを忘れてはならないこともこの物語は教えているようでもある。
令和4年6月
大森山動物園 園長 小松 守
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