シーズンを終えて 歴史と共に歩んだ感謝祭
シーズンを終えて 歴史と共に歩んだ感謝祭

2022年の大森山動物園の通常開園は3月19日から11月30日まででした。シーズンを通し25万人以上の来園者をお迎えでき、コロナ禍前のレベルにまで戻りつつあり、また大きなトラブルもなく無事に終えることができホッとしているところです。シーズン終了にあたりご来園の皆様に感謝申し上げます。
今年は22年ぶりのユキヒョウの赤ちゃん誕生、また市民篤志家からの多額のご寄附によるフタコブラクダやホッキョクオオカミの導入が果たせたことなど、明るい話題がたくさんありました。一方、人気者のキリン、レッサーパンダ、チンパンジーなどが亡くなるなど、悲しいこともありました。
今シーズン最終の日曜日、11月27日には、亡くなった動物への慰霊とともに、動物園を支援して下さった企業や団体の皆様、そして多くの来園者への感謝の気持ちを込め、「さよなら感謝祭」が行われました。地元小学校児童の心のこもった慰霊の作文朗読に加え、コロナ禍で2年間できなかった地元日新小学校の吹奏楽演奏も披露され、厳かな雰囲気に、華やかさも加わった感謝祭になりました。
さて、当園のシーズンの終了に併せ行われてきたこの感謝祭ですが、大森山動物園創立開園時の1973年から50年近く行われてきた園のとても大事な行事の一つです。その歴史を簡単に振り返ってみたいと思います。
感謝祭は、開園当時には「慰霊祭」と呼んでいました。亡くなった動物の霊を慰めることを目的にしていました。シーズンを終えた閉園直後、動物園職員に加え、小学児童何名かが招待され、園北東隅の空き地、現在の動物病院あたりに集まり、亡くなった動物に手を合わせ、慰霊とお別れをしていました。
その後、マスコミなどを通じ動物園側の情報発信が高まり、また1975年冬には立派な野外ステージが寄贈されるなど観覧環境も改善され、1976年には慰霊祭は来園者に開かれたものに変わっていたと思われます。ただ、「慰霊祭」と銘打ち外部に発信し実施した正確な記録は残っていませんが、1978年11月23日に慰霊祭実施の記載が現機関誌前の「やまどり」に残っています。
慰霊祭とは別に、1980年代中頃には動物園は来園者と慰霊の気持ちを共有したいという思いから、木柱でしたが現在のサル舎北側の旧園路脇に慰霊塔が建てられました。それは1997年に正面ゲート下の沼岸に現在の立派な石慰霊塔が建設されるまで10年近くそこにあり、たくさんの来園者にもご覧頂けたと思います。
その後、慰霊祭はしだいに市民の認知を得るようにもなり、1995年頃からは「さよなら感謝祭」と呼ぶようになりました。来園者への感謝の気持ちも併せ、シーズン最終日を飾るイベント的な役割も担うようになり、今日に至っています。
当園含め多くの日本の動物園は、こうした慰霊祭を行ったり、慰霊塔、慰霊碑を建てたりします。これは日本人の独特の生命観や動物観がそうさせているのかもしれません。私も海外でいくつもの動物園を見学しましたが、くまなく探したわけではないものの、慰霊碑を見たことはありません。他動物園での経験談ですが、海外の動物園関係者が日本の動物園に来園し、動物慰霊塔を見て、「これは何のためにあるのか?」「どうして慰霊する必要があるのか」と問うたそうです。海外、特に北米などではサンクスギビングとしての一般の感謝祭があるし、謝肉祭(カーニバル)として動物への感謝する行事がありますが、日本の慰霊祭とは根っ子にある部分は異なるようです。
大森山動物園は2023年に50周年の節目を迎えます。感謝祭も時代や社会の変化とともに変容して行くかもしれませんが、大事な部分、動物園を支え、私たちと共に生きている動物への敬意や感謝の気持ちは忘れてはならないと思います。それは動物園教育の大事な要素の一つでもあると思います。
令和4年12月
大森山動物園 園長 小松 守


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